「さんまのホンマでっか」10月31日放送で尾木ママが言っていたこと。
子供の教育において「塾って、合う合わないがあるのよ。合わない子にはすぐに身体症状が出るからね・・・
子供はすぐに『チック』になるのよ」
ピアノを子供に教えていると、この「子供のチック」にしょっちゅう出くわす。
ほんと、よくあること。というか、
全然出たことない子は2割くらいかな。
うちの下の息子も実はある。
うちの場合は「ウン」とか、「ウック」とか喉を鳴らす。
「チック(トゥレット障害)」についてウィキ
その中の
以下の動作を頻繁に行う。
■運動チック
顔面の素早い動き(まばたき、顔をしかめるなど)、首を振る、腕や肩を振り回す、体をねじったり揺すったりする、自分の体を触ったり叩いたりする、口の中を噛む、他人の身体や周囲のものなどにさわる、など
■音声チック
咳払い、短い叫び声、汚言症(罵りや卑猥な内容)、うなり声、ため息をつくなど
一見チックに意味があるようにみえることがあり、これが更なる誤解を生むことがある。またチックはある程度抑制することができる場合もある。その為、例えば学校等の公共の場でチックを我慢し家等に帰ると安心し、抑えていたチックを起こす場合もある そして、原因のところに
統合失調症や自閉症と同じようにかつては「親の養育」「家族機能」などに原因を求められたこともあったが、現在では前記2疾患と同様、それらの説は否定されている。
しかし精神的ストレスで悪化するなど、症状の増悪に環境要因が関与しているのは事実である。
うん・・・。少なくとも、うちの息子は、その・・・ストレスにより、というのよりは「クセ化」しているとは思う。けして、精神的に不安定なときに増悪するのではなく、普段、テレビを見ていてもやるのだから。
でも、実際、子供達・・・。ピアノレッスン中に、チックがひどくなる場面によく出くわす。
つまり・・・それは、ピアノが・・・ストレスだから、ということだ。 残念ながら。
例えば、「楽譜を読みなさい」というと、チックのラッシュが起きる子がいる。
それは、実は
「大きな勘違い」が起きている時だとも言える。
音符がいやでたまらない・・・なんて。
実は、子供がレッスンを始めて、しばらくの間、みんな丁寧に、音符を唱えて練習してくる。
しかし、ある時点から「楽譜嫌い」が発生している。
そして、それは実は・・・残念ながら、「親」がそうさせている。
きっかけはみんな
「わー楽譜見なくても弾けるって、天才!!」という言葉。 または・・・
ドレミを子供が譜面を読む前に言ってしまうこと。 これらが直接のきっかけ。
実は持って生まれて、「視覚優位」と「聴覚優位」はあるのだが・・・。理系脳と文系脳があるように。
しかし、どっちでも、絶対音感は付く。これは、持って生まれたのではなく訓練によるものだから。
ただ、視覚分野が苦手な子が、楽譜を見なくて曲を弾けるとわかると、
「譜読みして弾くことが面倒」で、また、聴覚だけで弾く方が褒められると思い込んでいるので、そうなる。
かねてから、私は、
「絶対音感をつけてあげます」なんて看板を揚げているわけだが、実は、
その「絶対音感」というものが、まるで「超能力」でもあるかのように、誤解されている。 確かに、無い人にとってはそう、とも言えなくもないけれど、実は方法は確立されている。
しかも、
自然に付いている人も多くいる。なのに、何故か「これは絶対音感ではない」と
思い込んでいるもので、なんのことはない、音を聞くと「ドレミ」という言葉に置き換わって唱えられるもので、目をつぶって音を鳴らして、
ドレミを当ててもらうと、当たっているのに「絶対音感がないんです」というママもいる。
テレビなんかで、あまりに、もてはやされて、天才とか言われるので、余計「自分なんかには」と思うらしい。
ただし、
絶対音感があることと、「音楽ができることは違う」ので、音が当てられても演奏がうまくいくかといえばそうじゃない。
絶対音感がない、音名を言い当てられない人でも、演奏家はいる。
だが、「楽譜が読めなくて演奏家」は実はいない。(視覚障害の辻井さんなどは、一人でショパンを弾けるようになったのではなく、代わりに読んでくれる人が居たから出来た事)
ジャズでは、コードの楽譜を見る。
結局楽譜とは、音楽を共有するためのメモであり、音楽を「楽曲として存在させるための共通認識のための道具」なのだと思う。
それがなければ、口伝え、古文書ヨロシク、不確かで、可変なものになってしまう。
そもそも、楽譜なくしてピアノを習おう、という考え自体が間違っているのだ。
そこから考えると・・・先に書いた、「子供が楽譜を嫌がる原因」を「ピアノを習わせようとする親が誤解しているため」に、起こることだということになる。
うまく子供を上達させている親は、みんな、
「子供を褒めるタイミング」を心得ている。
「本当に、どうなりたいか、何を目指して練習させるのか」が分かっていれば、1曲2曲できただけで褒めすぎないし、継続して練習できていることを褒めるべきで、曲それぞれは通過点に過ぎない。
ゴールはずーっとまだまだ遠いところに有り、一曲を仕上げることがゴールではない。 それを、ハッキリと認識するべき。
なのに、なんだろうな・・・わたしら、親世代が「焦りすぎ」ていて、見失ってしまうのかな。
楽譜を読めというと、チックが出る、なんて、実はその時点でピアノなんてやめるべき。
これは、
「これが好きな人」しか、出来ない事。 どうしても弾かざるを得ないから弾く、それだけなのだ。
好きになって、どうしても弾きたいから習う、という気持ちこそ、作るべきであって、弾いていると、楽譜を読んでいると「脳内の快楽物質βーエンドルフィンが出て、自分が天才になった気分を味わえる」
こんな素晴らしいことなのに、チックの出る子供にとってはストレスによるマイナス効果でノルアドレナリンが分泌されちゃう。
子供らに、
「嫌なのに無理強いされる」ことから、救ってやりたい。
そのために私ができることは、何だろう?
と思うと、こうして文章を書いたり、親御さんたちに説明することで、理解に近づいてもらう。
そんな事しかないのかな。
うちは、息子が最終学歴の大学、その手前の高校までなって、結局「就職」が現実に視野に入ってきてようやく、「我が家の教育」というものがどうだったのか、答えが出かけているせいか。
音楽だけではない、勉強においても全く同じで・・・それが尾木ママの最初に書いた発言の真意であろうし、やっぱり、万人が「ピアノを弾ける、音楽ができる」わけでもないし、「東大に行ける」わけでもない。
私たちがそうであったように、「親によってもたらされた影響」を考えると、精一杯「親が賢くやらないと」いけないわけで。
親子は、別の人間、別の脳であるにせよ、考える気質は似てしまうわけで、
「自分だったら」という視点を見失わないように、「自分がされて嫌なことを人にしない」のは、親子の間でもそう。 子供に努力を求めるなら、自分も同じことを「楽しんでやる」、くらいの「責任」はあると思う。
私は、ピアノも、英検も漢検も、息子と一緒に勉強したし・・・ただし、下の息子の計算技能検定とか、シスアドとか、物理とかそゆのは無理だけどね^^;。
無理強いは~してないけど~数学好きにはついて行けないけど~^^;。(え、結局矛盾してる!?)
はっきり、言えること。
うまくやれば、子供は親を超えていく。 私が弾けなかった曲を、子供たちはもう10代で弾けるようになったように。
勉強でも、ピアノでも。
自分ができなかったからと、
結局「難しいコト」と思い込ませているのは「できない親」だということ。
「こうすればできて当たり前」という視点が持てなければ、せっかくの才能も潰してしまいかねない。
私みたいな、出来の悪い大人は、自分の出来ていなさを自覚して、子供を尊敬しつつ付き合って行こうではないか。それが子育てのモットーだったりする。
一歩間違えばヒクツなんだが・・・^^;。
補足。
しかし、実際に楽譜嫌いで日々大変なループに陥っている子供にもう、どうしたらいいか分からないのは親の方で、先程は「やめるべき」などと書いたが・・・。
そこでやめてしまうと、
本当に一生、せっかく手に入るはずのものも失ってしまう。やめるくらいなら、いつでも
「もう一度気持ちを作り直す」事ができればいいのであって、
「急がば回れ」ということもある。
私は子供に最大限の力を発揮はして欲しいけれど、
無理強いは全くする気はない。
幼稚園時の始めた時の楽譜でいい。とにかく曲を弾いていくことで、
自分が今できることがどうで、やりたいことが何なのか、根気よく育てていくしかない、と思っている。
チック自体が、知的に悪影響とかいうことは絶対ない。ビートたけしとか、石原都知事だってチック持ち。
しかし、「カッコイイものではない」。恥ずかしい位には感じて欲しい。
そうなってしまう程のストレスを感じているというサインであることとして、
大人は目を背けず、見て見ぬふりをせず、少しでも変えていってあげたい・・・し、そうできるはずの音楽である、と思うのだ。
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