14日に、3月の合同発表会に向けての会議があり、出演順を決めてきた。
うちの生徒ちゃんたちの、3月の発表会の曲は以前に書いていたとおり。
そして、この度、小1のIちゃんが入会し、前の先生の所で「ベト:トルコ行進曲inC」を弾いているので、その程度の曲で、3月までに仕上げて出てもらう事に。
それで14人。後2人、新入会の方がいるけども、その方々はまた、初舞台は来年にという事になった。
雑感、というか、そうやってレッスンをしていて、感じること。
うちの生徒ちゃんたちは、うまいこと、やる気になってくれていて、特に中学生は、勉強、クラブも大変ながら、続けてくれている。
彼女らはもう、年長、小1からの付き合いで、7,8年目くらいか。さすがに、練習の仕方を試行錯誤したり、意欲を失ってしまうことはない。
自分達の中で、
「何のためにピアノを弾いているか」ちゃんと、分かっている。
小学生組みは、これまで紆余曲折あっても、なんとか楽譜を読み・・・なんと、考えれば、全員、ちゃんと読んで弾くことを、実行してくれている。
まだ、「パッと、
初見で形にする」とまでは行かなくても。
そして、やっぱり、幼稚園生さんたち・・・。こちらは、半々てところか。
音符は読めても、見ながらは弾けない、というのが、半分。
まったく、読む気がない系は半分。
もちろん、導入において、おそらく多くの先生が格闘する、この、譜読み。
一つ一つ、
音譜をドから増やしていき、丁寧に繰り返して「覚えてきたな」と思っても、次の週にはリセットされていたりなど、しょっちゅう。しかも、やっぱり
「拒否派」は実はある時点を境に
「全く読まなくなる」。
これは、拒否派さんの、共通するパターン。
何故なら、
譜読み拒否に繋がる、きっかけの言葉があるから。それは
「うわー!楽譜もないのに、聞いただけで弾けるって、天才じゃん!すごいよ!」である。
これ大抵、言われる時は本人も「凄い、私すぐに弾ける!」と思っていたところで、親御さんや周りの大人に言われるので、
物凄い事だ!と有頂天になってしまうのだ。そうなるともう、
「楽譜?そんなものなくても、弾けるから!」と思い込む。
これがねぇ。その幻想から「あれ?おかしいな」と
気が付いた順に、音譜を読み始めるんだけど。
早く、ミミコピが出来た子ほど、それが
「ピアノが弾ける人ほとんどに、当たり前に出来ていること」だと気が付かない。
そして、これは、もちろん、本人の問題でもあるけれど、じつは親御さんにも、問題がある。
やっぱり、多くの子供の演奏、コンクールで勝っているような子・・・。また、オーケストラに入ってくる中学生、弦楽器の子など、もう、
ピアノ弾きなどには、足元にも及ばない音感、「絶対音感」と「音程感」を身につけている。
「井の中の蛙、大海を知らず」とはよく言ったもので、
たかが、ミミコピで弾けるくらいで、天才だなどと喜ぶのはヨロシクナイ。(と、もっとも、その罠にはまった私がいう!)
聞いて、音程が取れるだけでは、本当に、細かい表現まで理解することは到底不可能で、また「誰かが演奏しているもの」を真似ているのでしかない。
結局、ショパンが残したものは「楽譜」であって「音」ではない。また、例え「ショパン本人演奏」があって、それを真似ればいい、のが「ピアノが上手いこと」でもない。
ショパンが聞いたら「それだ!」と言ってくれる演奏、は正解かもしれないけれど。
それには、
「楽譜」を無視しては、けっして近づけない。
私がそのことに、本気で気付いたのは32歳だった(爆)。
息子達に、ピアノをやらせる時に「バイエルでは、3年遅れる」という本を読んで、大変衝撃と、納得を感じたけれど、
「楽譜を読まなければ20年遅れる」という本を書きたいくらい、
読むかどうかで、その先に出来る事が決まる。
なのに、だ。
説得しても、またイチから、ドから教えても、
読まない子がいる。そして、得てしてそういう子は
バッチリ、音名をあてられる。絶対音感訓練は、脳の発達上8歳まで。だから、
音感訓練は早く始めるに限るし、そこに迷いも、疑いもない。やらなければ後悔する。
しかし、それをやる時に・・・やっぱり、親御さんの意識の方こそ、変えておかなければいけない、と最近よく感じる。
とにかく、「井の中の蛙」ではいけない。
出来て当たり前の事を、褒めすぎて勘違いさせてはいけない。
そして・・・やっぱり「音楽が好き」ということ「演奏が出来る」ということ、
「良い演奏」の意味こそを、早く理解してもらわねばならない。
「正しい方向」というのは、音楽は数学のように答えは一つで、必ず導き出されるものではなく、一人ひとりの違い、考え方、性格で、様々に変化する中で、いかに感銘を与えられるか、人の心を動かせるか、ということ。
そして、なにより演奏している本人の心が、震えること。弾いていくことに対して、そうなるともう、迷いもない。そこに、
連れて行ってあげたいのだ。体験させてあげたいのだ。なのに、その扉の第一歩である譜読みを、しないでもいいと思いミミコピで自惚れちゃう・・・。なんとか、目を覚まさせたい。
だからついつい・・・絶対自惚れているな、と思うところで、
ダメ出しをするしかなくなる。
それは、親御さんにとっては、ある意味ショックかもしれなくても。
そこで、私の側も葛藤がある。出来ていると思い込んでいる、生徒ちゃん親子に、「ダメ!」と言って、
やる気をそがれたのでは、元も子もない。本心は、たった短期間で、よくここまで、と私自身も嬉しいし、褒めてあげたい。けど・・・
先生とはそういう役回り、と思うし。ただ、やっぱり、物事には多面があり、「ダメ!」で、
理由も伝えた上でやらなければ、それはそれまで、かもしれない。
冷たいけど。
そこが、ほんとに「単なる趣味でお友達に教える」のとは違う、お金をやり取りする関係、と思うしかないのかも。
あと、やっぱり、最後は
「信じてくれるかどうか」だな。
「ミミコピだけでは、上手くならない」というのは本当の事で、「どうしても、読んで弾かねばならない」。そして、
必ず、読めるようにもなるし、やればやるほど簡単になる。
それが譜読みであり、ピアノが上達するということ。
こういった事を・・・「ふん、楽譜なんて無くたって」という考えを変えてくれないならば、それはそれまで。その範囲でできることをやるのが楽しいなら、いいんじゃないかな。
あくまでも、自分が選んだことであり、後悔しないのならば。
実は、
一番後悔しているのは私なんだろうけれど。32になるまで、本当に読めてなかった、適当に弾いていたのだから。
そんな事を、近頃のレッスンで考えている・・・。けど、ほんと、
万人が万人、出来ることじゃないから、出来たら価値があるし、評価されるのが演奏であり音楽であり。
それでも、子供達はもちろん、パパママも親子であり
別の人間でもある。
価値観だって親子こそ、本当に違うことも多い。それでも、
共通の「感動」を求めて、大切な時間を作っていきたい。それが、レッスンかな、と思ったりもする。
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