ジャズの教本と度数、そして、指の配置を覚えこんでいくと・・・なんだか、音楽が、全く違って感じられる。
今日も、エッチラオッチラと、モード奏法と、基本のコード全調。
コードの練習はまず、C△7→C6→C7、F△7→F6→F7と12調回した後、マイナーに入り、12通り。
それから各転回形やる。
1人の時は、コードネームを発音してやる時もある。それくらい・・・コード把握をしっかりと。
それから、テンションコード・・・全調3度を低音に、♭7を低音にヴォイシング全調。
(意味分からない場合はググるか、スルーしてください・・・とか言うと、記事全部スルーになるかもしれませんが)
ここで大切なのは・・・「音譜から離れること」。それが難しい~~音譜かじり付き派はどうしても。
この難しさを感じるのが、つまり、「楽譜が読めない人の難しさ」の裏なんだろうなぁ。
でも昨日書いていたことを読み直すと、ちょっと「それも違うんじゃない?」という人もいるかもなぁ、と思う。というのも、ピアノの先生にとっては本当に「楽譜を読むのを嫌がる子」ってのに、手を焼くから。
「よめー」と音符全部に指差し・・・格闘だ!と思うこともある。
しかし、楽譜は・・・
「よし、読むぞ!」と思えば大人からでも何とかなる。
私のように。しかし、音程を聞き取ると言うことは・・・絶対音感は、
大人から思い立っても、不可能だと研究では言われている。
いやいや、大人でも音程分かるよ?という人は、実は、8歳くらいまでに、ドレミを音を聞いて唱えるという、脳の使い方を、
自然としていた人(それも私のことだけど)に限る。
これは、脳の発達の構造上どうしようもない。
譜読みは「努力」でできること。しかし、聴音は時期を過ぎると努力しても無駄、という事になる。
だから、
どうしても、「幼児教育」になってくるんだけど。
でもなぁ・・・ほんと、聴音も、読譜も・・・
「何を目標にピアノを練習するのか?」で考え方が本当に違ってくる。
音大、プロを目指して!というなら、やることは、むしろ明確だけれど・・・
「好きな曲を、自由に、カッコよくぱらっと、弾けるようになれれば」と、
本当に、最初から思えるならば、
やる必要のないこと、もしくは「こだわる」必要のないこと、切り捨ててもいいこと・・・が実は、たくさんある。
しかし問題は、どちらとも思い切りがつかない、
中途半端な場合。自分の子供にもよく思う。
「中途半端が一番、悲しい思いをする」と。
やるなら、トコトンやる。適当でいいなら、時間を適当なことに、奪われるな。
でも、誰しも・・・その、「諦め」が付けられないから苦労するんだけれど。それでも、「トコトンやった」上で諦めるのと、中途半端に適当に、しかも時間を使ってしまって、やっぱり辞めるのとでは、意味が違う。
後者は
大失敗。
せめて、大失敗はしないでおきたいけどね。
さしずめ、本当にクラシックをきちんと弾きたいわけじゃないのなら、
ハノンも譜読みも「余計なこと」なのかもしれない。
けど、その逆は・・
・クラシックが弾きたいのなら、それら抜きでやることは、逆に中途半端になってしまう大失敗だと思うわけで。
クラシック音楽・・・バッハ、モーツァルト、ベートーベン、ショパン、リスト、ドビュッシー、ラヴェル。
どうしても、最低限の作曲家と、楽曲を選べと言われたら、こうなる。ただし、ピアノに限る。
そして、これらは100~200年前後・・・多くの人々に演奏されてきた、
人類の宝。
それらを演奏する時には、もちろん、楽譜を読み、それぞれの時代背景、国、言語、人格、出来事などをすべて、勉強し(
知識とし)、彼らの芸術を一人
ひとりがいかに演ずるか?というところに、こだわる。
もちろん、演奏者は、作曲者ではない。あくまでも、その
作品を鑑賞する第一人者が演奏者であり、自分の感動を、また聴衆に伝える役割をになう。そのとき、けっして楽譜を持ち、読譜しない。暗譜が原則。
なぜなら、やはり、
自分の中にその楽曲を取り込み、自分の心を載せて、音を醸し出す必要があるから。
やはり、・・・読譜することと、実際の音を楽しむことは・・・違うから?
でも、ならば、吹奏楽や、オーケストラはガンガン楽譜見ているけど?という疑問もあるが、それは、実はやはり「ソリスト」と「交響楽、合奏」の
パフォーマンスの違いにあると思う。
オケは人数が多く、長く・・・しかもその大人数を、シンクロさせることが命。1人の間違いが全体にかける迷惑は大きく、つまり、
一人ひとりの責任が本当に重い。
完全に暗譜しきるようなことに、脳力を使うとロスになる。
レッスンで、音譜読みをすすめて・・・もちろん私はトコトン、楽譜には「ドレミ」とカタカナなど頑なに
書き込まないけれど・・・書くと、
カタカナばっかり読んでますます、5線も玉の場所もみないから・・・C、Fと
コードネームはガンガン書き込む。こちらは、
「目に入れて欲しい情報の一つ」だから。
でも、なぜか・・・
楽譜、読譜拒否派ほど、楽譜に「落書き」をしたがる。これ、本当に全員そうだなぁ。
中には、消えないペンで絵を描いたり、5線に勝手に×を書くことも。(オクターブとどかない子に、この音は抜こうか、というと、
消えないボールペンで、×してあった・・・orz)
「楽譜に書いていいのは先生だけで、もし、落書きしたら、先生は楽譜に大きく
×を書いて、そのあとその曲をきかないよ!」と
脅しにかかるw。
実際、本当に、余計な情報を
落書きしようという、その感覚が分からないんだけどねぇ^^;。初見をがっちりやるようになってからは、本当に、初めて読んで曲想も全部表現してやる!と、そのためには、事細かに楽譜を読まねば!と思うのに、髪の毛やカスでも、ジャマになるものはムカつくというのにw。
脅した後、楽譜とは「メモ」なんだよ。
同じ曲を何度でも弾けるように、という事や、「
忘れたくないことを書き込んでおく大切なモノ」ね、と説明。
でも・・・ほんと、「ピアノを弾けること」をはじめ、楽器の価値、楽譜の価値・・・
分かってもらうのって大変だなぁ。
ジャズに取り組むに当たって・・・やっぱり、
なぜ?と思うと
「和音の織り成す、流れから自分の心の感じ方が、表現できるのでは?」ということもあるし・・・あと、単純に「なんで、自由にならない?」という
疑問を、解消したかった。分かってないこと、音楽の仕組みやら、
どうして、こう動くのか・・・その謎が解けていく気がした。そう、
音楽の「謎をときたい」のだ。どうして、気持ちいいのか、悲しいのか、寂しいのか。やっぱりジャズは、マーチのようなルンルン、シャキシャキではない、
複雑な人間の心理に近い気がする。だから、子供っぽい、大人っぽい・・・でいうと、
大人の音楽、になるんだろうなぁ。
明るく、あまり、苦労を知らない人には
「薄暗い音楽」wみたいに捉えられるのかもなぁ。
と、思うままにダラダラ書いたので・・・結論としては・・・楽譜を読む、読まないにしても、すべてまず、「音楽ありき」。そして
目的ありき。目的によって、譜読みを切り捨ててはいけないけれど、目的によっては切り捨てるのもアリじゃないか?
という感じかな。
- 関連記事
-