実は、とてもショックな事があった。
「この事」を書こうか書くまいか、悩んだ。
けれど、昨日の時点でブログのアクセス数が20日が142、21日が241、今日は300越えるかもなぁ。
「いらっしゃいませ。初めて『踏んで』いただいた方々」
全然まったく何のことだか分からない皆様には申し訳ない。
しかしひょっとしたら、ここを読んで下さってる方の何%かは、「私が困っている事」をご存知だったのかもしれないなぁ。
一般常識的に、社会人として親として
「2ちゃんねる」というものを、覗いているというのは、恥ずべき事、と思っていた。
とにかく、「人権侵害の坩堝」であり、訴訟をしても管理人の「ひろゆき氏」は法廷にも出ない、賠償金も払わない、という報道を見てきていたし・・・・・・。
特に「関わってはいけない」と思ったのは、性的な情報もあふれ返っているし、またニュース速報など実際の事件や政治家や亡くなった人までも、実名で顔写真も出され・・・・・・。
やはりまだまだ、「無法地帯」。
そして、その事を実感している上で関わるのならば「無法地帯」には「無法地帯」のやり方を自分も実践しなければならない。
それを思った時、自分は、そんなところに関わるのはバカバカしい。ただ、情報源としては面白いこともあるので、見るのはいいけれど・・・・・・それでも、そんな場所で、真剣にモノをいうのはバカらしい。
そう思ってきた。
実は、前HPを閉鎖したのには、理由があった。
警察沙汰に巻き込まれたから。
ネット上での名誉毀損事件が起こったところに居合わせた目撃者という立場。
私も電話でだが、刑事さんに証言した。
そのニュースが、当時、読売テレビのニュースで放送もされた。
大阪府警ハイテク課にも出向き、その後、ネット犯罪の本を出版している某著者が朝日放送で、現在のネット社会の被害者として、いわゆる顔モザイク声変えて、インタビューさせてくれないかと、依頼されたメールも残ってる。
当時のお知り合いは、記憶していただいてるだろうなぁ。でもやっぱり、当時を思い出すのが嫌で、ネット上でもついつい疎遠にしてしまってるかな。
その頃から思えば、今は随分精神的には鍛えられた。
けれど、それは「傷つくことに慣れた」のではない。
理不尽な事は理不尽。
等価交換であって欲しい、因果応報であって欲しい。
でも・・・・・・そうならない理不尽が、世の中にはある。
去年、
「何があったのか。」で書いた記事。
これを2ちゃんねるに貼り付けられた。
(ちなみに、実は2ちゃんねるに貼られたのは、これが初めてではない。あえて紹介しないがいまだに元スレのリンクから飛んできている人がたまにいる)
もう、過ぎた事・・・・・・しかも、今のクラブには、顔見知りはいても、ちゃんと会話した人は5人、いや3人くらいしかいないかも。
ジュリ本人は、もちろん、再入部なんて気持ちもなく・・・・・・忘れたいけど忘れられない過去。
そういう話になっても、本人にはネットを見せたりしていない。見せるのが怖い。私自身読み返してみると、涙が出てくる。
世の中には・・・・・・・そんな思いも、平気で踏みにじれる人間がいるんだと。
私が大切にしてきたものも、心も、踏みにじれるんだと。
ブログの背景の、子供達の姿を消し、プロフも消し・・・・・・。
でも、上の子も旦那も言った。
「ブログは、消すな」。
これは、「知的財産」。「作品」「Life Work」。無かった事にならない。消えない。生きた証。
人から見れば、クダラナイ・・・・・・バカが書いている、そう2ちゃんの方でも、「痛いバカ親呼ばわり」だった。
それでも、精一杯バカでも人間だから。人権のある人間だから精一杯生きてる。
私はそう、ちょうど中学1年の時に、ひどく学校でいじめられて、何度も何度も、学校の窓から飛び降りる想像をしていた。かれこれ28年前だ。
当時は、先生も誰も助けてくれなかった。職員室へ逃げ込んでも、荒れていた子達は、先生の自宅へ襲撃に行く始末だった。
私は・・・・・成人後も、会社勤めするようになってからも・・・・・・私は13の時に死んでいて、今は次の世を生きているのだと、つらい事があるたびに、思った。
旦那と出会って、ドラマのように結婚して子供もできたけれど、それは次の世の出来事で・・・・・・。
私はいまでもあの中学の、あの教室で、ゴミを投げつけられ教科書を破られ、メガネはコナゴナに割られ(当時ガラス製だったし)。
人間は恐ろしい。恐ろしい。前世で私は毛虫のように丸まって泣いていた。
そんな私が、本当に飛び降りなかったのは、大量のマンガと「ガンダム」を見たから。そう、ガンダムがなかったら私は死んでいた。
ビデオもなかった1980年代、再放送組みだったけど、その最後を見なければ死ねないと思った。
そして、シャアの人間性、生き方に惚れ、アムロとララァの世界には宇宙には、・・・・・・私が学校で殴られようが、ドブに落とされようが、無関係でいることが出来た。
アニメが見たくて生き延びる、そんな事でも人は生き延びれる。
一つには、「世界は目の前にあるものだけではなく、広く存在している、時間もそう」と思い込めたんだろう。
大学は造形芸術科の美術コースだった。ずっと宇宙の絵を描き続けていた。
ま、今のブログの背景は、PCのツールを使い慣れていないこともありお粗末だけど。
そして、もちろん、今も・・・・・・・描くことや、文章を書くこともなにも諦めてはいない。そして、こんな思いをしても、「ブログを続けるのか?」
だれが、バカだと、くだらないと言おうと、私は書き続ける。
自分の愛も、夢も、思いも・・・・・・・生きる意味も。
怖くてたまらない人間の中で。
2ちゃんねるが、恐ろしいのは、「書いたら二度と消すことができない」事が大きい理由。
間違えない人間はいない。気持ちも変わる。しかし、一度書いた発言は消えない。
もちろん、個人の実名や住所、電話番号などの個人情報は削除されることも多いが、たとえばこのブログのように、公開している場合は削除要請など受け付けられない。
日々、大量のスレッドで似たような時事は起きている。
そうなると、後、できることは「書き込まないこと」。
期間は分からないが、しばらく放置され沈んだスレは、過去ログに入る。
ただし、それで消えるわけじゃない。その本スレ以外にも「魚拓」というものや「ミラーサイト」もあり、dat落ちした後も検索すれば上がってくる。
私がまだ、2ちゃんねるの怖さを知らない頃に書き込んだ2003年くらいの書き込みも未だに読む事ができる。
「書く時は、覚悟して書くべき」
それが2ちゃんねるへの、心構えだと思う。
しかし、よく考えてみればそれは、現実の社会、顔を合わせている人間同士でも、全く同じ。つまり、顔が見えないからといって、何を書いてもいいのではなく、その先に読む人間が日本中にいるという事を忘れてはならない。
そして、私はその覚悟をして書いた。
それだけのことだ。ただ、それだけの・・・・・・。Ich mag Komödie. Bekümmert www.
何がどうだったのか、全くここしか読んでいない人には意味が分からないだろうなぁ。
事の次第によっては、出来る限りのことをやるかもしれません。
動画やら録音をUPするような事態にならないことを、心ある方は祈っていてください。
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