小学校で、パソコン、インターネットの使い方を、授業で教えるようになったのは、いつ頃からだったろうか?
旦那と結婚したのは今から17年も前。結婚前に、彼はパソコンを購入、付き合っているときも、私もそれで遊んでいた。その頃、「パソコン通信」という呼び名で、文章の交換が出来ていた。
それでも、私自身は、結婚後もネットには手を出さず……よく、旦那が「ファイルどこに入れたか、分からなくなった~」だの「全部消えてしまった~」だので、クマのように部屋の中を歩き回っている姿を見て
「また、『パソローゼ(パソコンノイローゼ)』になってる……」
と、横目で見ていたのだ。
旦那のネット歴は17年、私は2001年から本格的に使い出したので、7年と言う所か。
私の印象では、昔は「パソコン=エッチ箱」、という感覚もあった。どうやら、「男の箱」……「オモチャ」w。
実際昔は、今よりもずっと操作も難しく、「理系的感覚」がない人間には使えそうもない代物だった。
それが、今では、男女とも、……老若男女、簡単に使えるものになり、便利になった。
しかし、ほんと、まだまだ、歴史的にはそんなものなんだな。
息子らが、高校、中学になり、自分のパソコンで、好きなように好きなものをパソコンで見聞きできる生活……。もっとも、使ってきた私ら世代でさえ、そんな年数。現在15歳の息子は、3歳でパソコンを立ち上げていた。
ということは、パソコン歴12年。
私より長いじゃない……。
今でも、大人でも、「パソコンしたことない」人もいる。「壊したら困るから、触りたくない」人もたくさん。
子供も、大人も……まだ、そんなものなのだ。
youtubeやら、ニコ動……でも、当然、うちでは毎日何らかの動画を見ている。あの、功名悪名名高き「2ちゃんねる」もだ。
そんな中だからこそ、家族で、「ネットというもの」について、話し合うこともよくある。
私自身、ネット生活7年間で、大きな(?)事件に関わったこともあるし、失敗もしたことがあるし、名誉毀損されたこともある。
被害者側として、テレビ局と、出版社から取材を申し入れられたことまである。
が。いまでも、こうしてネットに関わっているのは、「だからこそ」なのだと思う。
現在も、ブログを書いていても、本名はもちろん、息子らの名前は書いてきていない。自己責任で書いてもいい、とは思っているにしても……。
「ネットの中には魔物が未だ住んでいる」
と思っている。そして、その魔物とは「人の心の中にある、醜い物」、恨み、妬み、偽善、卑下、揶揄、誇張、妄想、嘘偽り。自己中心的な心から発する……。
楽しみ、笑い、励ましあい、友情を深め……だが、人間の心にあるのは、それだけじゃない。
自分が、普段生活している人々のなかでは、そのような醜い物をさらけ出せば、楽しい社会生活はできない。それを経験的に学んでいるから、本心を隠す知恵を持っている。
しかし、「自分が誰だか分からない」となると……たちまち、その「知恵」を手放し、「自己中心的思考」に支配される。
「名無しさん」とはよく言ったものだ。
「名」が無くなると、人間はこうも醜くなるものか……と思うことは、日常的にある。
しかし。それは、本当はありえない虚構の世界なのだ、と思う。
書いている人間には「名」が無くなることも、責任が無くなることもない。同じ人間同士の、コミュニケーション、意思伝達なのだ。
書いているときは、たった一人の部屋でも、たくさんの他人が、その「意思」を読む。ましてや、これはマシン、足跡も痕跡も残さずに、使えるものではない。
もちろん表面上、「誰が文字を書いたか」は、文章上に書かない限りは、読みようはないのだが、実際ブログにしろ、HPにしろ、管理している側には、アクセスしてきた人の「IPのホストアドレス」というものを見ることが出来る。
「ネットワーク」は物質的に繋がっているのだ。
多くのHPでは、アクセスカウンターというものが付いていたり(うちも右上に付けているが)中には「今アクセス中」の人数を表示している所もある。
また、表面上そのようなモノが貼られていなくても、管理人、HPの作成者にはすべて、アクセスしてきたIPを見ることが可能なのだ。
そして、そのIPとは、プロバイダが割り当てた文字列なのだが、それだけでは、たとえばどこの誰が、という個人特定までは出来ないので、一応見る側のプライバシー保護はされている。
ちなみに、携帯からのアクセスだと、携帯には実は「個体識別番号」をいうものが割り当てられており、やはりパソコンからと同じような文字列を、HP管理者の見る「管理画面」に表示される。
なお、この場合も、「電話番号」が見れたり、持ち主の名前が表示される、ということではない。
このことは、例えば、テレビにしろ新聞雑誌にしろ、配信側はもちろん身元を明かしてはいるが、テレビを見る視聴者側、読者側はいちいち「私が読みました」といちいち知らせて読むものではない。
そういうところからも、広く情報を不特定多数に見てもらうための、「手軽さ、気軽さ」を大事にした事からだと思う。
そして、もう一つ、なぜ「名無し」で使えるという幻想がはびこる事になったのか、その要因として、ネット普及、初期の頃からの「パソコン=エッチ箱」という図式の存在がある。
男性と女性の、ネットに関する認識は、実はぜんぜん違うものだとも思っている。
ビデオもそうであるように。
もっとも、子供達、または最近ネットに関わりだした女性たちには「そんな事ない!」と思われるかもしれないが。
……男性が女性を愛することと、女性が男性を愛することは、いろんな意味において違いがある。
男性は、女性に対する恋愛感情の中には、穢したい、というような感情が根底にあったり、そういったことに「罪悪感」を持っているような気がする。
しかし、女性は、男性と愛し合うことには、そんな罪悪感は感じず、やはり産む側の性だから、性的な行為も、愛する人の子供を作るために……などと思っている。(もちろん、それが全てでもないし例外もたくさんあるけどね)
そういった男性の心理の中で、このネットというものは、そういった「罪悪感を持つ行為」を満たす世界であったとき、この「名無し」だからこそ、……現実の女性には、出来ないことでも、ネットの中でなら、自分の残虐性や淫らな気持ちを開放することが出来る……。
だから、「名無しで通用する」と、思っていたいのだ。
もし、本当に、アクセスした者の名前も顔も、住所も分かってしまうようなものならば、これほどまでにネットの中で「性的なもの」があふれ返る事はなかっただろう。
つまり、本当はネット上で自分が誰なのかばれることも勿論イヤ、……また、HPを管理している側も、本当は匿名でないのがばれるのもイヤ。
その心理が、今のネットの「勘違い世界」を作り上げてきたと思う。
実際はプロバイダに、アクセス者のIPの開示を求めさえすれば、……それが、「違法行為をする者」だったりする場合は、開示が認められ個人特定することが可能になる。
だから、ネット上の脅迫、実名名誉毀損で、逮捕者や訴訟に発展する、ということになる。
……この事を、教えずにパソコン教育をするから、「勘違い」が起きるのだと思う。
もちろん、抜け道としてプロキシなども存在するが、それもブロックが可能……つまり、「名」を隠しては利用できないように、本当はなっているのだ。
なぜ、この事を、まず、パソコン教育で教えないのか?
それについて、息子に聞いてみた。すると
「先生らが、分かってないもん」
と言う答えが返ってきた。
やっぱりなwと思う。
子供達が……経験の浅い人たちが、なぜ、「勘違い」するのかは、「大人たち」の責任でもある。
「『名』が無いからこそ、本音を聞けて楽しめるのだ」というのは、幻想なのだ。勝手にそういう「自己中心」でいられる幻想世界を、作り出しているのだ。
そして……そんな、人々の作った幻想に惑わされ、ばれないと思い込み「醜い心をさらけ出した魔物」が、人の心を傷つけ、そして、傷つけられた側が反撃のために、幻想を現実に戻したとき……その報いは、幻想と勘違いをした本人に襲いかかる。「名無し」ではなかったことを、悟ったときには、もう手遅れ。
結局、それでは手遅れなのだ。
いつも、人間は「自己中心」。どうしたって、他人の心は分からない。いつも、自分が「他人の気持ちを想像する」、「自分だったら、こうする、こう思う」という観点でしか、ものを考えることは出来ない。
だが、それでも……たとえ、一人の部屋で、言葉を書こうとも「読んだ人がどう思うのか」を想像しないで言葉を書いてはいけないのだ、と思う。
現実のコミュニケーションでも、精一杯想像しても、失敗することがあるというのに、ましてや全く想定しないで発言すると、恐ろしいことになるのは、明白だ。
自分が書いた言葉は、他人から、跳ね返ってくる。
他人を攻撃すれば、必ず攻撃し返される。
それがコミュニティであり、現実であれネットであれ、どんな形であれ、自分と他人との関わりの場なのだと思う。
どうか、これを読んだ人たち、この機会に「ネットを使っての人との関わり」について、考えてみてください。そして、この、素晴らしいネットワークツールを、子供達に、大人たちに、使えるように指導するとき、自分は「名無し」でも「独り言」でもない。そして必ず読む人の「心」がその先にあることを、教えて下さい。
なんぞと、思うw。
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