今日は、Mちゃんのレッスンと・・・私が風邪の時に、お休みにしてしまった生徒さんの、振り替えレッスン。
その後・・・ジュリと共に、今日もO先生にお会いしてきた。
というのも、昨日の
「決意」・・・ジュリを先生にみてもらおう・・・という事で。
4月から、ということなのだが、どんな風に進めていくかを見ていただくために。
楽譜は、ハノン、ツェルニー30番40番、インベンション、ショパンのワルツ集。
だったのだが・・・まずは、30番の8番を弾き・・・。
んんん?えw。
なんと粒はガタガタ、つっかえつっかえ、オロオロしている・・・^^;;。
な、なんで?と母は汗をかきつつ・・・^^;;;;。
先生も、ええええ・・・というカンジ。
見れば手首は下がっていて、指はぺったんこ。その位置では引き上げられないぞ?・・・と見れば、椅子が低すぎる。
「ハノン弾いてみて」と言うと、1番はなんか、ガガガと弾いて・・・。こ、こんなんやったっけ?^^;
と母が一番驚いた。あの、ラヴェルの音は幻想だったのか??
う~~ん"o(-_-;*) ウゥム…。
練習室を出た後、受付で入会申し込みをするために、椅子に座り・・・本人はションボリ^^;。
「ん~~どうやったん?」と聞くと
「失敗した」
失敗・・・失敗って・・・。う~ん、「失敗」なのか?
なんか、今日だけの失敗と言うよりは、根本的な問題なのでわ・・・という気分^^;;。
とりあえず、帰りのエレベーターの中でも、
「・・・失敗?」
「うん・・・すごい緊張して」
「先生が見てたから?」
「うーん・・・」
緊張のせいなのか??う~~ん^^;;。
帰ってから、うちのピアノで、弾かせてみた。すると・・・なんだ、いつもの手首の位置。
「さっきは何だったの~~?」
と・・・。緊張はしたんだろうケド・・・。
いくらか話していて、あああ、そうか、と思い当たることが。
グランドピアノに戸惑ったんだ?
これまでにも、ホールの発表会でも、他のグランドを借りたときの練習でも、もっと緊張はしたはず。でもうまくいったのは、「暗譜」だったからだ。
グランドピアノの、楽譜置きの位置と、鍵盤の距離・・・に困ったんだ。
アップライトでは楽譜は、グランドと比べればずいぶん鍵盤に近い。私も、レッスンを受けているときに、「何でこんなに、レッスンのとき弾けなくなるんだろう?」と悩んだことがあり・・・そのことに気がついてうちのアップライトピアノには、楽譜立てを針金でつるして、高い位置にしている。
が、それでも、まだ、グランドよりは手前で・・・。
あまり弾きこんでいない曲でも、楽譜を見れば弾ける、と思っていた彼にとって、すごくオロオロする要因になったんだ・・・。
それならば・・・慣れてくると、改善は早いだろうが・・・。でも、指のフォームの問題は・・・。
私も教えている人のハシクレだったりするので、「音を聞けば」打鍵の深さや筋肉の使い方など、問題点は分かるつもり・・・なのに今まで、ジュリの演奏を聞いてきても、そんな風だとは思っていなかった・・・。
ラヴェルに取り組んでいるときも、自分で「粒がそろわないなぁ」とゆっくりゆっくり丁寧に繰り返す練習はやってきて、・・・初期こそ飛ばしていたものの、結局あそこまで極めるにはそれは不可欠だったもんなぁ。
その間も、そんなにフォームに問題があるとは、思っていなかった^^;。
どーなんだろ、コノヒト・・・。
卒業式での壇上の「宣言」を聞いて・・・お兄ちゃんばかりに全力投球している場合ではない、と、思って「決断」したのだが・・・本当に何とかなるんだろうか?
ドライな事を言えば。
苦しい家計費の中から、レッスン料を払っていく「価値」が・・・あるのかどうか・・・。同じお金なら、私が習うほうが・・・。
この事は、今日の、を見たからではなく、ずっと、どうするのがいいのか考えてきた事なんだけど。
もちろん、少なくとも2年は、先生に付かせてみようとは思っている。何故なら、3年生は受験生になるわけだから。高校選びの際に・・・それまでにY高校を受けてみるだけでも(受かる、ではない^^;;)という、可能性があるのなら・・・と思ったわけなのだが。
ジュリが中学3年の時は、キリンも高校3年生。
なんとなく・・・、二人とも、「身の程知らず」で終わるのか、それとも「化ける」?
化けて出て来て欲しいが・・・・・・。
実は、この記事を書き、送信ボタンを押したところで、ネットが落ちてしまい、一度きれいに消え去った・・・。この下の文章は、長いので追記に折りたたんで書いていたのだが、悔しかったので表面に表示することにした。
「ジュリと、ピアノと、自閉症」
ジュリは、3歳のときにヤマハのシステムに3ヶ月、通ったものの、その頃から3和音で左手を弾き、システムのテキストのものを弾いていたので・・・私が、「よし、母さんが教えてやろう!」と・・・、ある意味私が講師になろうという決意をした、要因でもあるのだが・・・。
いまや、もう彼は12歳。
3歳上のキリンが、小学3年生になった時、私はさっぱり楽譜の読めないキリンに「これをやれ!」とツェルニー30番を渡したのだった。
その時幼稚園年長さんだったジュリも、一緒にそれを弾き始めた。別に彼には「弾きなさい」と言ったわけじゃないが・・・。
いつも、兄ちゃんと同じものを弾いてきた。というのも、「兄ちゃんより僕のほうが上手い」と思っていたから。というのも、ジュリはその頃すでに、何も教えずとも、楽譜が読めていたから。
一体、どうやって、どれが、どの音か?把握したのかすら分からない。びっくりしたのは、まだ言葉もロクスッポ・・・文字も読めないwのに、ベートーベンのソナタの楽譜を持ってきて、「これがお母さんが弾いている楽譜?」と言ってきたのだ。ソナチネアルバム1の中の、ベートーベンのソナタである。
キリンに、ソナチネアルバム1を渡して、「この曲の楽譜がどれか分かる?」と弾いて・・・でも、キリンはどれか分からなかった^^;;;;。
その時、「この子は天才だ!!!!!」と真剣に思ったものだ。
しか~~し。
そもそも、ジュリは2歳で「2語文」・・・「これは、りんご」「僕はうれしい」「これが欲しい」など・・・が出るのが普通なのだが、・・・出ず、3歳で幼稚園の入学面談のときに、「お名前は?」と聞かれてハッキリ名前が答えられないと、受からないのだが・・・それもできず、面接のお部屋に入る前に
「○○○(名前)○○○、○○○」と私が、顔を見て唱え^^;;;;そのまま、面接の先生に名前を呼ばれ、彼は「○○○!」と言ったという・・・^^;;;;;。
そして、小学校へあがっても、とにかく問題行動も多々あり・・・人前で突然服を脱いだり、オシッコをしたこともあった。プールの着替えも、平気でフルチン。
工作をしろ、と言っても、ずっと画用紙は白いまま、テストもグチャグチャ・・・。その上馬鹿にされると暴れたり・・・。とにかくケンカが多かった。
「総合医療センターに相談に行ってみては?」と小学3年生の時の担任の先生に言われた時、「うちの子に限って」などとは、まったく思わなかった。
一番、こりゃマズイんじゃないかなぁ・・・と思っていたのは家族だったから。
「このままで、どうしたらいいんでしょうか?大丈夫なんでしょうか?」と学校には懇談の際話していたが、先生方としても「低学年の頃には、聞き分けの悪い子はいるから」と言う返事。
と先生もおっしゃるほど、微妙なラインだったのだ。
でも、総合医療センターに行ってみて、とても良かった。心理テストの結果は、実はそれも「微妙」だったのだ。ハッキリ、「自閉」と判断できるほどの、傾向ではないにせよ、そういう特性がある、と思って接したほうがいい、と言う事だった。
学校への手紙として渡された診断書には「自閉症(アスペルガー)の疑い」とあった。
しかし、テストでも示されたように、やはり微妙・・・合わせていける程度・・・だが、指導をしてもらうべき程度。
で、指導されたのは、
「曖昧な表現を避ける事、ちょっと待ってね、と言わず、5分待ってね、というと良い」
「とにかく、明確な言葉で、具体的に話すときちんと理解できる」
あと、重要なのが
「特性への理解がないと、ともすれば、本人は学習していく事もできるし、知能が低いわけではないのに、『バカ』扱いされ、本人の自尊心を大きく傷つける事になる」と言う事。
そうなると、別の心の病、悩んでウツになったり、不登校などを引き起こしかねないと言う事。
また、接し方を誤ると、より、自閉傾向を強めていく事にもなる・・・など・・・。
私も受診して、そういった説明を聞くまで、「自閉症」と言うものをものすごく誤解していた。というか・・・なかなか、分かっているようで分からないモノだとも思う。
彼も私の息子で、人間、そして、私も人間・・・人間は社会性を身につけていく事で、「人間らしい生活」を営んでいくもの。母親の私にも、感情はあるし、いう事を聞かない息子には、普通に腹が立つし、「自分ならこう思う、こうする」という判断が、通用しないなんて・・・という部分で、いちいち戸惑う。
子供を育てている間に、そういうことは、上の子供の時にだって時々あって、その都度「躾」と称して改善するように持っていく・・・のだが・・・。
これまでに、だいぶ分かったのは、普通よりいっぱい、説明してやらねば・・・と言う事かなぁ。
前もこうだったし、言わなくても察しろ!というのが難しいのだ。直観力が弱い、とでも言うのか、それとも今流行の「空気を読め」てのが、本当に苦手とでも言うか。
もっと理由付けとしては、どうやら、右脳と左脳を連携させる「脳梁」と言われる、橋渡しの部分で人間は感情やインスピレーションを司る右脳と、理性的知性的判断をする左脳を連携させて、物事を判断する、と言われているが、その部分が障害がある、という研究もあるらしい。
しかし。だからと言ってまったく、それが出来ないと言うわけでもなく・・・。
また、学習は・・・ひとつひとつ経験によって学んでいけるので、失敗した事は・・・言葉で「そうか、だめなんだ」と分かった事はやらない。
ケンカや、暴れてしまったりした後で、落ち着いて「どうしてこうしたの?こうしたらよかったのに」と言うと、「そうか・・・」と自分がしたことを恥じる・・・。
そんな事は、兄弟げんかの中にも、しょっちゅうあった。
うちの兄ちゃんは・・・そういう意味では、実はかなり、根気よく、我慢強い子なのだ。普通だったら弟はもっとボコボコにされていただろう・・・。
自分が、取り合い喧嘩でジュリに、顔をかきむしられても、彼に怪我を負わせる事はなかった。いつもグッと我慢するのは兄ちゃん。そして、とにかく説得する。
私も説得する・・・旦那も。そうして、家族の中では慣れっこ・・・そう、実は周りが、慣れてくることも大切なのだ。
決してワガママを許すのではなく、説得の仕方に慣れる、トラブルの前に説明する事に慣れる。
間違っちゃいけないのは、(自分らが思う)常識を曲げてはいけないこと、だと思ったりもする。
たとえば、小学4年生のときにあった事だが、「ツバを吐く」事に対して、「この子は変わった子だから、変わった行為も注意したら可哀相だ」ではなく「人間だれでも、ツバは出るけれど、みんな吐かずに、飲み込んでいるよ」などと・・・「吐いたら床が汚れるから、汚したら掃除しなきゃいけないよ、だから吐かないの」とか。
それが「接し方を間違えるとドンドン、悪化する」事を実感した出来事でもあった。
そういった事を積み重ねて、たぶん人よりはいまだ幼いにせよ、随分「ほかの人の感覚」なんかも自分なりに考えてみれるようには、なってきたと思う・・・からこそ、友達も増え楽しく学校生活を過ごせたと思う。
ただし。この「自閉」の特性は、決して「治る」ものではない。世の中や、社会の理解が進んでも、それを「治療」というのは、間違いだと思う。そもそも、「病んでいる」わけじゃないので。
「ものの捕らえ方の、特性」なのだと・・・だから、良くなるのは経験によって学習できたという事なのだから。また、「まだ学習できていない事」に関しては、「自分だけの思い込み」による失敗は、するシチュエーションもあるだろう・・・。
でも、実は、ほんと、別にこれはうちの子だけではなく、沢山いる。また、学習して合わせていけて、問題なく社会生活を送っている人も・・・。
なんか、この人、変わってるかも^^;;;?と思う人の中には、そういう傾向を持っていたが、経験で変わっていき、意外と「面白い人間」と思われたり・・・それが人間的魅力にだって繋がることもあるわけで。
実際、実は旦那様・・・まさにそういう人なわけw。自閉の特性の話を病院で聞いてきたときに「俺の小さい頃に、すごく当てはまるんだけど^^;;;」と自分で言っていた。
もちろん、旦那は、ちゃんと会社員になって、機械設計の仕事もちゃんとこなしている。会社自体の不況で、収入自体は大したことがないにせよ・・・w。
まぁ、だから、「自閉特性」だからと言って、なにも悲観する事でも、恥じる事でもないと私は思っているわけで。
本当は、この特性の名前、「自閉」という文字や響きが、本当の意味フィットしているのか?という問題もある。「自分を閉じる」と言うと、なんか、「自分の意思で閉じこもっている変な人」というイメージ・・・。
また、本当の名称は「広範性高機能障害」とも言うが・・・それもねぇ。
高機能の障害だから?低機能なのか?とかww。
意外とアスペルガーなんて横文字にした方が誤解がないのだろうか?
そして、この、「自閉症」の人の中には、
サヴァン症候群と言われる特性もあったりで・・・。
ジュリのピアノに関する能力は、その事とも関わりがあるような気がする。
(ウィキの記述の中には、「楽譜がまったく読めないのに・・・」という文もあるが、これは、あくまでも一例。
どの部分に、能力が発揮されるのかも、人さまざまなようだ)
でも、だからといって、どうしたら・・・どうなっていくか?という予測が出来るものでもないのだが。
もうすぐ、ジュリは中学入学。また、新たな環境へ飛び込み・・・ピアノも、習い始め・・・。
なお、ピアノに関しては、決して「自閉」だからやらせたい、などという考えは毛頭ない。あくまでも、普通に、子供が望む道へ・・・と思うし、いい演奏ができる人間なのかも?と言うところから。
その点、甘くも辛くも考えちゃいないw。
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