学校とは何なのだろうな?と思う。
もちろん、学ぶ場所。共同生活をする場所。
学校で経験したことは、その先、社会に出て仕事をする時に、人と一緒にモノを作る、サービスを提供する・・・その時に、使える知識であったり、人との関わり方を学ぶ場所。
しかし、中には学校でしか通用しない事も沢山ある。
子供だから許される事も社会人になれば許されない事・・・社会は、会社は、何らかの利潤を産み出すために、社員が明確な目的を持って、自分の時間を提供し、その対価として生活していくお金を得る場所。
その点、学校では、勉強するのは自分自身のためであり、実際は、クラスの誰が勉強しなくとも、ほかの人間には関係ない。
それどころか、勉強が出来る人間と出来ない人間をふるいにかけられ、差別化されていく。
「ゆとり教育」などという、馬鹿げた指針は、現実の競争社会をまったく見据えていない、マヌケな政策だった。
「ゆとり」が欲しければ、とにかく出来るときに出来るだけ知識を詰め込み、応用力をつけ、社会に出てからこそ、心にゆとりのある生活水準に納まってから、持てばいいことだ。
結局・・・塾に行きだした息子。
お金で、知性を買うことにしたのだ。
今の子育て・・・その教育市場に一体いくら位のお金が流されているのだろう?
少子化が問題視されているのに、子供一人を育てるお金を計算して、収入と照らし合わせると、何人も生む気にはなりはしない。
なぜ、こんなに子育てにお金がかかるのだろう。
保育所の整備が、少子化対策・・・なんて、それも的外れもいいところだ。保育所に赤ちゃんから、幼稚園に上がるまでの子供を預けて、母親は働かなければ、生活が出来ない家庭が沢山あるということだ。
そんな幼児を預けて、自分は働いて、そこから何人も赤ちゃんを作ろうという気になるわけがない。
なぜ、安心して女が、子供を育てていける社会じゃないのだろう?
なぜ、男は、女が同じ職につき、社会進出することを、疎ましく思いつつ、そうせざるを得ない方向に持っていくのだろう。
決して、女が男性と同じ立場で働きたいと、望んでいる人を、批判するつもりはない。
でも、子供を預けて働きに出ている女性の全員が、それを望んでいるわけでは、決してない、ということだ。
安心して子育てできない国、日本。
そして、安心して、学校に行けない国、日本。
今出来る目の前のことを、精一杯やるしかないのか・・・。
追記は「イジメのこと。」
24日の追記には、
イジメられていた過去について書いた。
「イジメ」などと文字にしてしまうと、なんか陳腐な響きもあるけれど、何をされたか書くと、それは・・・それは、
人権を侵害するもので・・・人間の扱いをされなかった、そういうものだ。
学校に行くと上履きは雑巾を入れられ、席を離れていると教科書やノートが踏みクチャにされていた。
眼鏡をかけていたが、当時はガラス製で、踏み割られていた。黒板には名前を書かれ、死ね、汚いと・・・。
体育の時間、ボールを四方から投げつけられ、昼休みには飲んだ牛乳パックでボールを作ったものを、ほうきで打ち、あたれば何点、と点数を競っていた。
目に投げつけられたこともある。
取り囲まれて、腹を殴られ、制服は破られた。
一度は殴られて、失神して病院に連れて行かれたこともあった。
今から思うと、
傷害事件だ。でも、訴えるなんて
思いもよらなかった。
発端は、自分にあったと思う。
当時、つっぱっていた女を、私がののしったのが、始まりだったなぁ。
そこから、「コイツと仲良くすると、同じ目に合わすぞ」と周りを脅し、友達は逃げていった。また、運動がトロかったので、格好の「からかいマト」にもなった。
先生に相談しに行くと、先生は
「そう、困ったね」と言っただけ。
不良連中は先生の家まで、襲撃したりしていた。先生も怖かったのだ。
あと「返事をするから、面白がられるねん」と言われたので、
それから返事をしなくなった。その事もエスカレートしていった一因だなぁ。
中学の時期、
一切親に相談も助けも求めなかった。思えば
おかしくなっていたのかもしれない。
その頃から、
「何もなかったことにする」演技が出来るようになったのかもしれない。
いわゆる、多重人格的に、苦しい記憶を切り離したり、心のどこかで、人間は恐ろしいと思っていたり、急に死にたくなったり・・・。
でも、現在、かわいい子供もいるし、
それを守ることに、全霊をかけているので、負の気持ちに支配されずに済んでいる。
私の親は、私が結婚して子供を産んだ後、喧嘩をした時期があり、その時初めて「どうしてあの時、怪我だらけで帰ってきても
気がついてくれなかったのか?」というような事を話し、はじめて知ったようだった。
今になると、思う。
あの時、助けてもらえる相手がいるとしたら、「親だけ」だったのだ。でも、どうしても、
親には言い出せなかった。聞いてもくれなかった。
なんとなく・・・親は私を、「気の強い、うるさい子」と思っていたし「いじめられるような子ではない」と勝手に思っていたらしい。
私は、親の前で実際、そういう子を演じていたし、
親に学校でされたことを、説明するのが、惨めだったのだ。どこかで、親は・・・自分をかわいいと、いい子と思ってくれていて、その期待を裏切りたくなかったし、されたことがあまりに「人間と見られていない行為」だったので、そんなことを話して驚かせたくなかった。
多くの、イジメにあっている子供たちが、こういう心理状態で、親にも
相談できず、自殺していく。
今、大人になって考えると「イジメで自殺する前に、なぜ相談しないのか」とともすれば、疑問に思うが、
自分だって出来なかったのだ。
しかし。だからこそ、強く思う。何でも言葉で、
助けを求めれば、変えることが出来る。言葉で言わなければ、親子でも、何があったのかなんて、分からないのだ。
「親が子供同士の問題に出てくるな」そんな、バカな言葉が、イジメられている子供に、相談することを躊躇させる。
けれど本当に
「子供の心を守れるのは、親だけなのだ」と思う。
むしろ、
「親が出てくるな」と言う側の、人間に言いたい。「自分が正しいのなら、誰が出てきても、胸を張っていればいい。たとえ先生が出てきても、警察の前でも、胸を張れるはず」
また、ぜひ「自分の親も出して来い」。本当は、
親も子もない。人間同士なのだ。
尊重されるべき、人権をもった・・・互いに、よりよい関係を作り、協調して社会を構成していく、人間同士なのだから。
ただし。もし「人の人権を踏みにじったり、集団で一人を攻撃したりすること」が、それらの人の前においても「正しいこと」などと主張すれば、
親諸共社会的に制裁を受け、矯正されることになるだろうけどね。まぁ、実際に自殺されたら、ニュース報道されて、ネット上で写真や住所、名前を公表されて・・・。
そんなもっとも
悲惨な制裁を受ける前に、考え直したほうがいい。
と・・・こんな所に書いても、実際、学校で人権を侵害されている人に伝わるわけもなく、
本当に自分の意思確認の文章だなっ。
でも!本当に
一人でも、イジメで苦しんでいる人が、少しでも減っていくことを、また酔狂ながら読んで下さった人が
「イジメを減らす」ことを、考えてくれたら・・・などと、
中学生で自殺せずにすんで、39才になりw沢山の先の人生を楽しんでいる、私は、思うわけであることよ(何w。
あっ、ちなみに!ひとつ断っておきますが、別に、現実に「親が出てくるな」とか言われたり、そういったやり取りが我が家にあるわけではありません。
「周辺で起こったいくつかの事」を元に、持った意見です。
ただ、現実言われるようなことがあれば、まったくこのように言うだろうけどww。
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